自分と他人。どこまで頑張ってたって、他人は所詮他人で、いくら相手のことをわかろうとしたって、限界はあって、それは仕方ないことだし、どうしようもないこと。でも大事なのはわかることではなくて、わかろうとすること。 その姿勢が大事なんじゃないの?って思う。 自分自身のことでも同じで、いくら相手に伝えようとしたって、伝わらないことは多い。 だって他人だし、同じ事考えられるほうがすごい確率の奇跡なんだよ、きっと。(最近はそういう割切り方をするようになった) 人それぞれ違うんだから、同じ事を同じように感じ取れないのは当たり前。 だけど、相手の気持ちに少しでも近づけるように考えることは出来るはずだし、そのために私たちは言葉を持っているし、話せる。 ただみんながみんな、自分の事をまっすぐ話せるわけではないと思う。 言えない事もいっぱいあるだろうし、言いたくない事もいっぱいあるだろうし。 私はそういう人から無理やり話を聞こうとは思わない。 ただ、その人が溜めてるなにかを、私が聞くことによって楽になれるんなら、それなら話を聞いてあげたいと思う。 だって本当に言いたくないことってあるもんだし、それはわざわざ心を開くとかしなくてもいいと思うのです。(人の好奇心のために自分がしんどい思いなんてしなくていいに決まってるんだし。) でも他人が聞くことによって、案外自分を悩ませていた何かは自分が思っていたよりもちっぽけだと感じることが出来るかもしれない。 これは他人だから出来る能力。だから発散も大事なことなのです。 人はそれぞれみんな違う。でもだからこそ助け合ったり、支えあったり出来るし、バカ言い合ったりして楽しいんだと思うのです。 しんどいときは立ち止まってみて。 辛くなったら私はいつでもいるし、話も聞くよ。 そのために高度技術の携帯というもんがあるんやしね。 |